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キャリア
みのもんたさんの足跡と収入の推移

【長者番付常連】みのもんたさんの足跡 『おもいッきりテレビ』の悩み相談で人気沸騰、主婦向けの軽妙な話術を育んだラジオアナとしての“不遇の時代”

文化放送アナウンサー時代のみのもんたさん

文化放送アナウンサー時代のみのもんたさん

 35歳の1979年10月、フリーに。峠を越えたと思われていたラジオアナウンサーの転身は無謀とも言われたが、その勇気が新たな道を切り拓いた。『プロ野球ニュース』(フジテレビ系)の土日キャスターに抜擢され、同番組から派生した『珍プレー好プレー』のナレーションを担当。絶妙な言葉選びが絶賛され、その名がテレビ界に轟いていく。

「試合が雨で中止になった日、『プロ野球ニュース』がメジャーリーグの珍しいプレーを取り上げた。その時、みのさんが即興で面白いナレーションをつけた。この放送が視聴者にウケたため、1983年からの特番放送につながったそうです」(テレビ局関係者)

「神聖なるスポーツを笑いのネタにしていいのか」という声もあったようだが、『楽しくなければテレビじゃない』を標榜する、当時のフジテレビとみのさんの波長は合致していた。

昼帯の『いいとも』独走の中で日本テレビが始めた新番組

 フジテレビは1982年視聴率三冠王を獲得。その後、1993年まで12年連続で栄冠に輝く。ただ、その中心にあったのは、後にみのさんの番組のライバルとなる、昼帯の『笑っていいとも!』だった。

「平日の昼で視聴率15%を取っていましたし、祝日になれば20%を超えるお化け番組でした。他局が同時間帯でどんな企画で挑戦しても、勝てないどころか、惨敗していました。1985年、同じバラエティ路線の『おじゃまします』(TBS系)はたった1ヶ月半で打ち切りになっています」(前出・テレビ局関係者)

 当時、『いいとも』が独走する中で、日本テレビは『お昼のワイドショー』という長寿番組が視聴率8~9%と健闘していた。しかし、同局は企業イメージを変えたいと考え、新番組を立ち上げる。それが、1987年10月開始の『午後は○○おもいッきりテレビ』だった。『いいとも』の視聴者層が20代から40代の男女メインだったため、50代以上の主婦層を狙った。

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