訃報の衝撃と、フラッシュバックするともに過ごした日々
第10戦のハンガリーグランプリ直前に、セナが「父とも慕っていた」本田宗一郎氏が死去。喪章を付けながら参戦するという悲しい出来事がありながらも、セナはこの年に7勝を挙げ、3度目のチャンピオンを獲得した。
「私は1991年をもってF1から離れ、“人の生活に寄り添ったデザイナー”、つまり『ヒューマンエンジニア』としての仕事をこなす生活へと戻りました。」
そんな日常を送る川崎さんのもとに飛び込んできた1994年のセナの悲報。
「さすがに衝撃は大きく、ともに過ごした濃密な日々がフラッシュバックするばかり。ただひたすらにセナの冥福を祈るだけでした」
そして没後30年となった昨年、世界中で追悼イベントなどが行われました。
「今もって多くの人々に愛され続けている伝説のドライバーと過ごした時間は、どれほど貴重なものだったか……。時が過ぎるほどにアイルトン・セナへの思いは強くなっています」と川崎さん。
2年近くの間、「ミスター・ヘルメットマン」として過ごしたことが、どれほど貴重でどれほど輝いていたか、そして感謝しているかを川崎さんの言葉の端々から感じ取ることができました。セナの勝利の陰にはこうした男達の、不断の努力があったことを改めて噛みしめました。
「RHEOS」ブランドのヘルメットを着用したアイルトン・セナ(右が川崎和寛氏)
セナのヘルメットの間口の外周は58センチだったが、鼻の高いセナのために少しだけ鼻のすれそうな部分の内張を凹ませた