これほど政府が日産に肩入れする背景には、かつて「国策企業」と呼ばれたほど、日産が国策に従ってきた経緯がある。金融ジャーナリスト・小泉深氏が語る。
「通産省(現・経産省)が1961年に乗用車メーカーを3社に再編成する構想を発表したとき、トヨタやホンダは反発したが、日産はプリンス自動車との合併を進め、政府の方針に従った。もとから政府・政治との距離が極めて近い企業だった。
一方で、金融機関の支援がないとやっていけない企業であり、日本興業銀行出身者が社長として何人も入り、“興銀自動車”とも揶揄された。トヨタとの差がついたのは、政府頼みで競争力が失われてしまったからでしょう」
※週刊ポスト2020年10月2日号