答えは中世の農村の成り立ちにある。農村に名字が広がったのは室町時代頃と考えられるが、中世に整備された多くの村は、その地域に土着した武士が領主になっていた。彼らは谷間に住むことを好んだ。生活に必要な川があり、なにより三方を山に囲まれて、敵が攻めてくる入り口が1か所しかないというのが大きな理由だった。武士といっても半農が普通で、そのまま農民となって村の長になったケースも多かったので、開けた場所で四方の守りを固めることは難しかったのだろう。
では、どういう谷間が開発に向いていたか。川があることはもちろんだが、次に大事なのは農業に適した日当たりだ。作物がよく実るのは、日当たりの良い東側や南側に口の開いた谷間である。領主となった武士は谷の入り口に居を構えて村を守り、農民はそこから谷の奥に向かって田畑を開墾して住んだ。ということは、領主から見て西側や北側に人口が集中したはずである。そのため、「西」と「北」を名乗る農民が増えた。
もちろんすべての村が東や南に開いた谷間に作れたわけではないので、そうでない村では「東」や「南」が名字になったが、全国的には少数派だったというわけである。
※『名字でわかるあなたのルーツ』(森岡浩・著)を元に再構成