今年3月、アサヒビールなどの持ち株会社であるアサヒグループホールディングスの社長に就いたのは、子会社のニッカウヰスキー出身の勝木敦志氏(61)だ。海外企業のM&Aで活躍した国際派は、今後の戦略をどう立てるのか。
──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか。
勝木:私は1984年にニッカウヰスキーに入社しました。最初の2年間は財務を担当し、その後は営業職をやりました。平成元年当時は、名古屋支店で働いていましたね。
──ニッカを就職先に選んだのはなぜですか?
勝木:青山学院大学時代はハイキング部に在籍し、山登りに熱中していました。当時の採用活動の解禁は10月1日だったのですが、私は夏休みの間ずっと山にいて、何の準備もしていなかった。久しぶりにキャンパスに行ったら、みんなスーツを着ていて「これはヤバいぞ」と焦りました。
私の実家は北海道岩見沢市で酒屋をやっていました。「酒のことなら何とか分かるんじゃないか」ということで、就職先を酒類メーカーに絞ったんです。
ニッカは北海道のメーカーだけあって、面接官も北海道弁で。親近感があり、すぐ打ち解けることができました。それで最初に内定をいただいたのがご縁でしたね。
──当時はバブルど真ん中ですね。
勝木:私が入社してからは好景気でニッカも順調でしたが、平成元年にはその後の酒類業界に大きな影響を及ぼす出来事がありました。4月の消費税導入と同時に、戦後最大の酒税法改正が行なわれたのです。
それまで清酒やウイスキーは特級、一級、二級と級別制度が取られており、級が上がるほど高い税率がかけられていましたが、その制度が撤廃されました。
背景にはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)の是正勧告がありました。イギリスのスコッチウイスキーなどヨーロッパのウイスキーはすべて「特級」にカテゴライズされていたため売値が上がってしまい、日本ではなかなか売れない。そのため欧州諸国が強く撤廃を求めたのです。これは国内メーカーにとって大打撃でした。
さらにその後のバブル崩壊によって、それまで右肩上がりだったクラブやスナックなどでの需要が一気に減り、ウイスキー市場はじりじりと縮小していきました。我々はなかなか世の中の流れに対応できず、苦戦が続きました。