相次いだ障害を受けての立ち入り検査は現在も続いている。金融庁は、「実施中のものは詳しく答えられないが、システムに関すること、ガバナンスに関することの両方を総合的に検証している」と説明する。経済ジャーナリストの森岡英樹氏が言う。
「金融庁のシステム検査対応の検査員は10数名ほどだが、みずほ銀行の問題への対応は金融庁にとっての喫緊の課題となる。中島氏の部下となる幹部では監督局長として異例の4年目に突入した栗田照久氏が留任しています。豪腕で知られ、中島氏の後任の長官候補とも目される。みずほ問題への対応は、中島氏の指示を受けた栗田氏が主導するかたちとなるでしょう」
もちろん、金融庁が斬り込もうとするみずほ銀行のシステム問題については「その“病巣”は相当根深い」(財務省関係者)というのが衆目の一致するところである。
みずほ銀行は発足直後の2002年と東日本大震災直後の2011年にも大規模システム障害を引き起こしている。
その背景にあるとされるのが、みずほ銀行の誕生に至る経緯だ。バブル崩壊後の不良債権処理に各行が苦しむなか、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行の「対等合併」で誕生したみずほ銀行だが、そこに問題の始まりがあったとするのは、旧・第一勧銀OBで法政大学大学院教授の真壁昭夫氏だ。
「対等合併ということで第一勧銀、富士、興銀がそれぞれ使っていた3つのシステムを持ち寄ってつなげたかたちとなった。たとえば三菱UFJの場合は、三菱が東京やUFJを吸収合併した格好なので、三菱のシステムに統一できたのですが、それができなかった。システムがつぎはぎとなったことが、すべての始まりだったと考えられています」
人手が足りない!
1977年に旧・第一勧銀に入行し、2002年のみずほ誕生も築地支店長の立場で経験した前出・江上氏はこう語る。
「スタート時点で間違いがあったと考えます。第一勧銀は富士通、富士は日本IBM、興銀は日立製作所のシステムを使っていて、縄張り争いを目の当たりにしました。統合前の(第一勧銀の)支店長会議で“基幹システムのベースはウチの富士通が取った”と、ある役員が勝ち誇っていましたが、当時、私は富士銀行のシステムのほうが優れていて、コストダウンにもつながると思っていた。結局、いまもシステムのベンダーは1社に統合されたわけではないし、それをまとめる人材もいないということでしょう」