5月も中旬に差し掛かかり、新緑のまぶしい季節が到来している。だが、心地よい春の風を感じられるのは1年のうちのわずかな期間だけ。春が来たと思ったら、気付けばあっという間に暑い夏が到来するように感じる。春夏秋冬という四季の季節感は今後どうなっていくのか。温暖化による気候変動で変わりつつある季節感について、気象予報士の田家康さんが考察する。
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温室効果ガスの排出による気候変動(地球温暖化)によって、春と秋が短くなり、夏が終わるとすぐに冬、冬の次に夏がやってくると感じることはないだろうか。気象予報士仲間の間では、「春と秋が短くなった」という話題が度々聞かれる。
京都で生まれ育った芥川賞作家の綿矢りささんは、小説『手のひらの京』(新潮社)の中で、京都の季節感について「京都に残暑なんてない。九月は夏真っ盛りと思っていた方が、精神的に楽である。京都の夏は6月から9月。秋は10月だけ。11月から3月が冬で、4月と5月が春」と書いている。春と秋の期間が短いが、この感覚は全国共通ではなかろうか。
春という季節は、もともと寒暖を繰り返しながら温かくなっていく。とはいえ、今年の春を振り返れば、急激な移り変わりがあった。4月3日から5日にかけて北関東の山間部では10cm以上の雪が降り、東京でも冬物コートが活躍したものの、翌週になると関東甲信地区の各地で最高気温が20℃以上となり、11日には岩手県宮古市などで最高気温が30℃を超える夏日となった。5月に入ってからは、平均気温が東京で14℃と4月中旬並みの寒さが訪れる一方、最高気温が25℃を超える日も多く見られ、長袖か半袖かどちらを着るか悩む日が続いている。秋の場合も、東京では10月中旬はまだ夏の陽気が残り、紅葉の季節に秋になったかと思うといきなり木枯らしが吹いて冬になる。
四季という季節感は、古代の日本や中国、そして地中海世界で育まれたものだ。日本の場合、水田稲作から生まれた。ハル(春)は大地を耕す意味の「墾ル」(はる)、ナツ(夏)は「田に水を引く」こと、アキ(秋)は稲の稔りと収穫、そしてフユ(冬)は御魂をふゆ(増殖)し復活を意味するものだった。中国では殷の時代から農耕のために四季は細分化されていき、二十四節句は紀元前239年に成立した論説集『呂氏春秋』などで完成形となった。
古代ギリシアでは、詩人・ノンノスによる長編叙事詩『ディオニソス譚』に四季を表す4人の女神が登場し、それぞれの女神は春が花、夏が穀物、秋がブドウ、そして冬はオリーブを示している。さらに18世紀前半には、作曲家・ヴィヴァルディのヴァイオリン組曲に『四季』がある。