旧統一教会と政治家との関係に注目が集まる昨今。普通の生活をしている人にとって、新興宗教との接点はどこにあるのか。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、これまでの人生の中で、自身と家族が接した新興宗教の思い出を振り返る。【全3回の第2回。第1回から読む】
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3月に93才の母ちゃんを見送った。この夏、茨城の実家で初盆を過ごした私は、人の命に限りがあることを実感し、死を身近なものと感じるようになった。そして、「そうか、こういうときに人は宗教が視界に入るのか」と思った。と、若い頃のことをふと思い出す。
41年前の夏、24才の私はある宗教施設にいた。横には姑と義姉がピタッと張り付いている。もう逃げ場はない──。
夫(当時31才)の母がS教の熱心な信者で、彼が宗教2世であることは、婚前に本人から知らされていた。でも、結婚して2か月もたたないうちに、姑と義姉から強い勧誘を受けることまでは覚悟していなかった。夫家族と同居していた私のもとに義姉が連日やってきて、姑と一緒にS教への入信を求められた。
「長男の嫁になっていまさら何を言うの。うちの宗教に入らないということは、うちを馬鹿にしているってことだからねっ!」と姑が凄めば、「そんなに堅苦しく考えなくてもいいのよ。ちょっとだけつきあってくれたらいいんだから」と義姉が解しにかかる。
私は抵抗を続けたけど、相手はまったく怯まない。
「実は今日、うちのお嫁さんが入信するって、お寺にお願いしちゃったのよ」
こうなったら否も応もないわよ。私はひと言も口を開かず、姑と義姉の後について、一見、ふつうのお寺に行って、白い短冊のようなもので頭を撫でられて、“入信の儀式”が終わったの。経本と数珠も渡された気がするけど、はっきりした記憶はない。
婚家で暮らした1年半は、とにかく毎朝欠かさず、姑の“勤行”を聞いた。私の耳の奥にはちょっと甲高い姑の声がいまでも残っている。が、そんな出来事とは直接関係のないことで、私は4年後に離婚した。
離婚して宗教と縁が切れたかと思ってたらとんでもない。その時々で勢いがある宗教が私の前に次々現れるんだもの。
28才で離婚して、30才でヤケのヤンぱちで歌舞伎町(東京・新宿)に編集プロダクションの事務所を開いたけど、早い話、人生に迷っていたんだよね。
とても感じのいいOL風の女性から「ちょっと手相を見せていただけませんか?」と街で声をかけられたとき、勢いで「ハイッ」と手を差し出した。すると相手は、「ああ、やっぱりね」と私の右手を見ながら、しきりにうなずいているではないの。