豊かな老後を迎えるため、60代からの人生の後半戦をどう生きていくかは、多くの人の関心事だ。その一方で、子育てや仕事から解放され、暮らしにゆとりが生まれても、時間を持て余し「生き方」に迷う人は少なくない。70代になっても精力的に活動する作家の落合恵子さん(76)は人生のターニングポイントをどう捉えたのか、話を聞いた。
「すいかを四等分するようにスパっと切るようなことはできない人生を年代で考えるのは窮屈に思えて、“ねばならない”という強迫観念とも距離をとってきました。だから、やるべきことを年齢で区切って考えたことはありません」(落合さん・以下同)
76才になったいまなお、精力的に執筆活動を続ける落合さんだが、60代に入る頃の生活はパーキンソン病等を併発した母・春恵さんの介護中心の日々だった。
「同居して介護を始めた頃、私は50代半ば。母が一瞬見せる安堵の笑顔に辿りつくために、ほかのすべてを捨ててもいいと思い詰めて始めた生活でしたが、刻一刻と変化する病状を見守り、ケアするのは想像していた以上にハードでした。あっという間に体力気力ともに衰えて、長い小説が書けない状態になってしまいました」
計画していた本の出版が立ちいかなくなって、悔やんだり焦ったりしたこともあったが、母を看取って10年以上経ったいま、振り返ってみれば思い詰めた日々は無駄ではなかったと言う。
「一見、実りなく見えた枝にも、ちゃんと実はついてくれるのではないかと思います。当時は書くことのできなかった長編小説も、70代になってから書き始めることができました。『泣きかたをわすれていた』(河出文庫)というタイトルのその本では、何かを始めるのに遅すぎる季節はないと思い、介護と見送りと、そして見送った側に残される“その後の人生”を描きました。
だから65才までにこれ、と決めた計画が思うようにいかなくても大丈夫。あなたがあなたである限り、そしてあなたがそれを実行すると決めている限り、願っていることはどこかで実現するはずです」
植物とのつきあいに熱中する
壮絶な経験の中で、心安らぐのは「土いじり」をしている時間だった。
「熱中できるものを持つことは、年を重ねるうえで大きな意味を持ちます。私が植物とつきあい始めたのは、女友達が入院したことがきっかけでした。苦しむ彼女に、私は何もしてあげられない。無力な自分と対峙させられる、苦しい日々でした。
少しでも心癒せたらと考え、彼女に日々手渡せるハーブや季節の花の小さなブーケを作るために始めたのが、土いじりでした。植物に触れている間は頭を空白にできる。没入できる何かを持つことは、いいことだと思います」