日本在住の黒人が「ブラック企業」に抗議
最近の事例で「差別語」をめぐる混乱がよくわかるのが「ブラック企業」です。日本では、低賃金で長時間労働を強いる劣悪な労働環境の会社を指し、2012年からは市民団体による「ブラック企業大賞」が始まり、翌13年には「ブラック企業」が新語・流行語大賞を受賞しました。それに対して、法令を遵守して働きやすい環境を整備した会社は「ホワイト企業」と呼ばれます。
ところがこの言葉に、日本で暮らす黒人たちから抗議の声があがりました。「ブラック=悪」「ホワイト=善」という決めつけは典型的なレイシズム(人種主義)だというのです。たしかに英語では「Black Enterprise(ブラック企業)」は黒人によって経営される、主に黒人のための企業のことで、ネガティブな意味はまったくありません。
ちなみに、アメリカでは、黒人は「Black」とBを大文字にして表記されますが、白人は「white」と小文字で表記されることがあります。どちらも同じ大文字でいいように思いますが、白人至上主義者の団体が「White」の表記を使っていることから、リベラルなメディアは自分たちは差別主義者ではないと意思表示するため、小文字の「white」を使うようになったのだといいます。差別をめぐる言葉の問題はこれほど微妙なのです。
「ブラック企業」「ブラックバイト」などの用語は、現在のポリティカル・コレクトネスの基準では正当化できないでしょう。本来であれば「ブラック企業」を批判してきたリベラルな社会活動家らが、より政治的に適切な言葉に言い換えるべきですが、いまだにそうした提案はなく、「ブラック」がネガティブな意味のまま放任されています。
ここで述べたような意味で、私は「障害者」「台湾原住民(アメリカ原住民)」などの表記を意識的に使っていますが、「ブラック企業」「ブラックバイト」などは、現在は引用を除けば使わないようにしています。「社会正義の時代」には、私だけでなくすべての著述家が、あるいは言葉を発するすべての人が、「なぜその言葉を使うのか?」という問いへの説明責任を求められるようになったのです。
【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。リベラル化する社会をテーマとした評論に『上級国民/下級国民』『無理ゲー社会』がある。最新刊は『世界はなぜ地獄になるのか』(小学館新書)。