アメリカ独立のために最大の援助をしてくれたのは、イギリスに遺恨を持つフランスだった。しかし、フランスはルイ14世(在位1643〜1715)以来、ほとんど間隔を取らずに対外戦争を重ねたせいで財政は火の車。これにアメリカ独立戦争への干渉が重なり、破産に近い状態に陥った。
税収を増やすには、免税特権を持つ貴族と聖職者に課税するしかない。それには170年以上休眠状態にあった全国三部会(身分別の国会)を招集し、そこで承認を得るしか方法がなかった。ところが、聖職者からなる第一身分と貴族からなる第二身分、および平民からなる第三身分はそれぞれ絶対王政に対して異なる要求を抱いていたから、いざ開会となれば紛糾することは必至である。
事態は国王ルイ16世の予期せぬ方向に突き進み、フランス革命の始まりとなった。破産の回避どころか立憲君主制への移行、王制の廃止に続いて、国王夫妻が断頭台の露と消えるなど、誰も予想しえない怒涛の展開となった。
為政者に「ノー」を突きつけた江戸時代の農民の覚悟
税負担への反発が大事件に発展した例は日本史上にも見られる。江戸時代に起きた一揆の大半は役人の不正か飢饉への対応のまずさ、専売制(諸藩が商品作物の生産・販売などを独占した制度)への反発に起因したが、専売制を除けば、どれも税=年貢の負担と関係していた。
深刻な飢饉に見舞われた年でも、年貢の徴収が例年通り行なわれれば、農民が行動を起こすのも無理はない。免除や減免を求める陳情を聞き入れてもらえなければ、一揆もやむなしというのが、当時の農民の常識だった。
一方、役人の不正に起因する一揆には大反乱に発展した例が存在する。1637年に勃発した島原の乱がそれである。この乱が起きた要因は、島原藩初代藩主の松倉重政と2代藩主の勝家父子による石高詐称と偽りの石高に合わせた年貢の収奪にあり、キリシタン弾圧は副次的要因だった。