小学生の夏休みの宿題として、長らく定番である自由研究。子供たちに自身の興味や能力に応じて調査・研究や作品づくりをさせるもので、その歴史は古く、1947年の『学習指導要領』において、自発的活動を促すことを目的として盛り込まれたのが始まりだ。ただし教科としては機能せず、1951年の『学習指導要領』では姿を消した。
それでも多くの学校で「夏休みの宿題」として残され、現代まで続いているというわけだが、教師にとっても親にとっても負担となっている側面があり、昨今では、廃止する学校も出てきている。
自由に、興味のおもむくままに研究や工作をするようにといわれても、“自由”ほど難しいものはなく、「自由研究」に頭を悩ませる家庭は少なくない。そんな需要に応えるかのように、自由研究のヒントとなるテーマを扱った書籍や工作キットも多数販売されている。ネットを検索すれば、マネをしさえすればいい実験や工作動画も数多くヒットする。
個性を伸ばすのが目的だといいつつ、これだけネタの宝庫があり、言ってしまえばパクり放題なのが今の「自由研究」だが、その意義はどこにあるのか。現場の教師に話を聞いた。
“自分で考える”ということが大事
都内で小学校教師をしているHさん(20代女性)は、たとえ出来合いの“キット”を組み立てただけ、あるいは誰かの真似をしたものでも「問題はない」と言うスタンスだ。
「オリジナリティは、もちろんあればいいですが、なくても構いません。自由研究を宿題にする理由は、子供の独創性を育むためですが、この場合の独創性とは、”自分で考える”ということです。
つまり、何かのキットや模倣であっても、それを選んだ時点で何かしらの“発想”は織り込まれているということ。学校ではできない体験や、長期休暇だからこそできる体験、学校で得た知識を生かした体験が反映されているものなら何でもいいのです」(Hさん)
Hさんによると、“極端にいうならクオリティは二の次”。親や大人の手が入っているものも珍しくなく、「見たらすぐにわかるが、黙認する」という。
「まず第一に期日までに提出すること。作品に対する評価基準は先生によって異なりますが、私はそれを手掛けた動機や努力の過程、成果物の完成度を中心に評価をします。保護者と一緒に作ったことが推察されるものでも、それが保護者と子供が会話をするきっかけになっているならいいという判断です。夏休みの過ごし方をつづった日記も普段とは違う体験なので自由研究になり得ます」(同前)