川辺謙一 鉄道の科学

【東海道新幹線60周年】“高速鉄道の元祖”新幹線はなぜ日本で誕生したのか? 「海外技術」「ローテク」「過去の遺産」を駆使して誕生した世界最速の営業鉄道の秘密

イギリス国立鉄道博物館に展示されている初代新幹線電車(0系、右)と「ユーロスター」。「Shinkansen」は高速鉄道の元祖として海外でも知られている

イギリス国立鉄道博物館に展示されている初代新幹線電車(0系、右)と「ユーロスター」。「Shinkansen」は高速鉄道の元祖として海外でも知られている

 鉄道は、多くの人にとって交通の手段としてだけでなく、趣味や娯楽の対象としても親しまれており、ときに人々の知的好奇心を刺激してくれる。交通技術ライターの川辺謙一氏による連載「鉄道の科学」。第23回は「なぜ日本で新幹線が誕生したのか」について。

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 今から60年前の1964年10月1日、東海道新幹線が開業しました。これは、日本初の新幹線だっただけでなく、最高速度が200km/hを超える世界初の営業鉄道だったため、「高速鉄道の元祖」とも呼ばれています。

 さて、なぜ新幹線は日本で誕生したのでしょうか。そもそも東海道新幹線は、どのような「目的」によって計画され、どのような「手段」を使って実現に至ったのでしょうか。

 今回は、その理由を歴史と技術の両面から探ってみましょう。

なぜ新幹線が計画されたのか

 まずは、東海道新幹線が計画された1950年代後半にさかのぼり、計画の「目的」を見て行きましょう。

 その目的は、おもに次の2つがあります。

【1】東海道本線の輸送力増強
【2】鉄道の競争力向上

【1】の「東海道本線の輸送力増強」は、東海道新幹線を建設する大きな目的でした。

 東海道本線は東京・名古屋・大阪を中心とする三大都市圏を結ぶ路線です。1950年代後半には、並行する東海道新幹線や高速道路がなかったため、東海道本線は旅客と貨物を運ぶ輸送の大動脈として機能していました。

 また、当時の東海道本線では、戦後復興による輸送需要の増加によって深刻な輸送力不足におちいっていました。このため、東海道本線の別線として東海道新幹線を建設し、輸送力を補うことが計画されました。

【2】の「鉄道の競争力向上」は、自動車と航空機に対する優位性を保つために当時必要とされていました。

 日本より先に鉄道を導入した鉄道先進国(イギリス・フランス・ドイツ・アメリカなど)では、第二次世界大戦後に鉄道が衰退しました。自動車と航空機が急速に発達したことで、鉄道の輸送シェアが下がったからです。このため鉄道先進国では「鉄道は消えゆくもの」という悲観論まで語られるようになり、日本よりも先に本格的な高速鉄道を生み出すことができませんでした。

 いっぽう1950年代の日本では、鉄道はまだ衰退していませんでした。鉄道先進国よりも自動車と航空機の発達が大幅に遅れたからです。

 ただし、その予兆はすでに起きていました。1951年には日本航空が東京・大阪・福岡を結ぶ定期旅客運行を開始。1957年には、日本初の高速自動車国道である名神高速道路の建設が開始。このまま自動車や航空機の発達が進めば、鉄道の立場が脅かされることは明白でした。

 そこで国鉄(現・JRグループ)は、東京・大阪間の輸送シェアを維持するため、スピードアップに取り組みました。

 国鉄の鉄道技術研究所(現・公益財団法人 鉄道総合技術研究所)は、1957年に「東京-大阪間3時間の可能性」と題した講演会を開催しました。これは、特急列車でも6時間以上かかっていた東京・大阪間の所要時間を、半分以下の3時間に短縮することが技術的に可能であることを示すものでした。この講演会から東海道新幹線開業に至るまでのストーリーは、すでに多くの書籍で語られているので、ご存知の方も多いでしょう。

 つまり、東海道新幹線は、東海道本線の輸送力を増強するだけでなく、自動車や航空機の時代の到来に備えるために計画された鉄道だったのです。

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