なぜ新幹線が実現したのか
次に、東海道新幹線を実現するための「手段」を見て行きましょう。
日本は、世界最速の営業鉄道をどのようにして実現したのか。その手段は多数ありますが、ここでは主要なものとして以下の3つを紹介します。
【A】海外から鉄道技術を学んだ
【B】ローテクを駆使して完成度を上げた
【C】過去の遺産を利用した
【A】の「海外から鉄道技術を学んだ」は、新幹線の技術の構築において重要な事実です。日本の鉄道技術者は、先ほど挙げた鉄道先進国から多くの鉄道技術を学びました。たとえば高速走行を実現する技術は、日本よりも先に200km/h以上で走行試験をしたドイツやフランスから学びました。
念のために申し上げておきますが、日本は海外の鉄道技術を「パクった」わけではありません。海外から学んだ鉄道技術を咀嚼(そしゃく)し、日本の鉄道に合わせてアレンジを加えて、それまで世界になかった新幹線という高速輸送システムをまとめ上げたのです。
当時は、海外からの情報収集が、今よりもはるかに難しい時代でした。インターネットなどの便利な通信手段がなく、海外旅行に対する規制があったからです。
そのような時代に新幹線というシステムを構築した技術者の功績は、一般にはあまり知られていません。ただ、便利な情報社会や海外旅行の自由化が実現した今だからこそ、その功績がもっと知られてもいいのではないかと私は考えます。
【B】の「ローテクを駆使して完成度を上げた」は、安全かつ安定した高速鉄道輸送を実現するうえで重要でした。新幹線に関しては「ハイテクの結晶」というイメージを持つ方もいるでしょうが、じつは「ローテクの塊」です。つまり、新幹線を構成する個々の技術は、海外の鉄道で使用実績があり、新規性がなかったのです。
これは悪いことではありません。なぜならば、ローテクはハイテクよりも信頼性が高く、新幹線というシステムの完成度を上げるうえで重要な技術だからです。
【C】の「過去の遺産を利用した」は、全長500km以上に及ぶ東海道新幹線をわずか5年強という短期間で建設するうえで重要でした。
ここで言う「過去の遺産」とは、弾丸列車計画で買収された線路用地や、造りかけたトンネルなどの施設のことです。弾丸列車計画は、第二次世界大戦前に存在した計画です。東海道本線や山陽本線と並行する鉄道を新設し、最高速度200km/hで列車を走らせるというものでしたが、戦争の激化の影響で中止に追い込まれました。
東海道新幹線の建設では、これらの線路用地や施設の多くが使われました。だからこそ、現在のように工事の機械化が進んでいなかった時代に、長大な鉄道を短期間で造ることができたのです。