最後まで「闘う経済アナリスト」だった森永卓郎さん
1月28日に亡くなった経済アナリスト・森永卓郎さん(享年67)の連載「読んではいけない」最終回。生前、最後に寄稿いただいたテーマは「“幸せな仕事”の見つけ方」について。森永さんのご冥福を慎んでお祈り申し上げます。
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近年、若い世代の話を聞いていて痛感するのが、転職動機の変化だ。かつて転職は「より多くのお金を得る」ことが主な目的だった。しかし最近は大企業を捨ててベンチャーに転職するケースにたびたび出くわす。彼らは安定した高収入を捨てる理由について、「仕事が楽しくない」と口をそろえる。
私が社会に出た40年前、多くの日本企業はボトムアップ経営だった。課長になると実務に関わることが減り、新聞ばかり読んでいた。部長以上は重役出勤だ。だからこそ現場社員には自由があり、新たな挑戦を許す土壌があった。
勤務時間の管理も緩かった。私自身の経験は特殊だと思うが、日本専売公社(現JT)や三和総合研究所に勤めていた20~30代の時、平均の月間残業時間は150時間を超えていた。ただ、それだけ働いていても不満はなかった。残業代がすべて支払われていたことに加え、必死に働いてスキルを学び、成長しているという充足感があったからだ。
ところが近年はトップダウンの経営が増えた。経営陣が細かい業務までマニュアル化し、社員を縛っている。社員からすればマニュアル仕事は創意工夫の余地はなく、労働の楽しみはない。仕事を通じた自己実現など夢のまた夢だ。そのうえ若年層の年収は減っているのだから目も当てられない。働き方改革で労働時間と残業代が抑えられた結果、日本の実質賃金はG7でぶっちぎりの最下位となった。
働き方改革関連法を受けて多くの企業が残業規制を強化した。時間を決めて社内の照明を一斉に消した結果、単に仕事を家に持ち帰る人が増えただけだった。
真の働き方改革とは、時間を規制するのではなく、「残業代をすべて支払う」ことに尽きる。経営陣が残業代を払いたくないと考えれば、必然的に無駄な仕事は見直され、業務に創意工夫が生まれる。サービス残業を厳格に禁止すれば、働き方改革はおのずと起きるはずだ。