父の急死で認知症の母(85才)を支える立場になった『女性セブン』N記者(56才)が、介護の日々の裏側を綴る。20代半ばで実家を出て30年、再び母と向き合って戸惑うこともしばしば。今回は、母の「終の住処」探しにまつわるエピソードだ。
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認知症を患う母のひとり暮らしが難しくなり、新たな住まいを探し始めた6年前。何を基準に探せばよいのかわからず途方に暮れたが、最終的に決め手になったのは“お風呂”だった。そこには「自由か支えか」という深い意味が込められていた。
人生2軒目の終の住処を探すことになった
両親が“終の住処”と宣言して近県のマンションに引っ越したのは、ふたりともまだ元気だった70代の前半。風水で物件を選び、ウキウキしながらソファやカーテンも新調。堅実な両親としては一世一代の大イベントだった。
しかしその約5年後、父は心筋梗塞で急死。救急搬送される直前まで夫婦で穏やかな時間を過ごしていたというから、こういってはなんだが、父にとっては本当に幸せな“終の住処”だったと思う。
その一方で、母には新たな試練が始まった。初めての独居で認知症状が加速し、こだわりのインテリアも無惨なゴミ屋敷と化した。食事もままならず激やせした母を見て、人生、そう簡単には終わらないのだと思い知った。
母の命の危機を感じ、2軒目の終の住処を探し始めたのが6年前のことだ。当時は「自宅が無理なら老人ホーム」くらいの認識だった。でも母が甲斐甲斐しく介護される姿を想像すると、どうも違和感があった。体は元気に動くのだ。そんなとき知ったのがサービス付き高齢者向け住宅だ。私の家の近所にもポツポツとオープンし始めていた。
「24時間介護スタッフ常駐、安否確認や生活支援で安心してお過ごしいただけます」というのがうたい文句だったが、いくつも見学して回っていた有料老人ホームとの違いはまだピンとこなかった。そもそも、独居疲れで意気消沈した母が何を求めているのか見当すらつかなかったのだ。