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【60代女性・私の宗教放浪記】自宅に来た新興宗教の強引な勧誘を追い返した言葉

死後の世界は「死んでみなくちゃ、わがんねな」

 そのほかにも近づいてきた宗教はいくつかあったし、好奇心と期待の赴くまま、こちらから近づいた宗教もある。でも、どれも身を投げ出して信仰したいとは思えなかったんだわ。ま、ひと言で言えば向かないんだね、私に宗教は。

 かといって、目に見えない何かを全否定しているかというと、そんなことはないのよ。最近、同じお寺の檀家の友達からこんな話を聞いたの。

 集落の身寄りのないお年寄りが亡くなったので、数人でお金を出し合って『お布施』をつくり、ご住職に事情を話してお経を読んでくれないかと、頼みに行ったんだって。

 ご住職は「ああ、いいですよ」と二つ返事で引き受けてくれて、数人だけの葬儀を終えた。

 ご住職が去った後、座布団の横に香典袋が置いてあって、お布施と同じ金額が入っていたんだって。こういう人の為すことの中に、神や仏はいるのではないかしら。

 先日、そのご住職にお経をあげてもらい、母ちゃんの初盆を済ませた。

 そういえば私と母ちゃんはしょっちゅう「死」の話をしていた。最後の1年、茨城の実家で介護をしたとき、母ちゃんはよく軽口を叩いた。「オレが死んだらいくらか金が残っぺ」と言うから、「いくらあんで?」と聞くと、「あははは、それは言えねぇな。オレの死んでからの楽しみにしろ」とかね。

 カメラを向けるとニッコリ笑うのは母の習い性だけど、その写真が気に入ると、「ヒロコ、これ、オレのジャンポンで使え」とうれしそう。「ジャンポン」とは古い茨城弁で「葬式」のことだ。

「オレが死んだら」が「100まで生きてやっから」に変わったのは死の2か月前で、そのとき母ちゃんの目から生気が消えていた。あぁ、長くないんだなと思ったけれど、シモの世話をがっつりした私は、それが悲しいとか、残り少ない時間を一緒に過ごしたいという気持ちになれなかったの。「ああ、そうか」と心の深いところで合点がいっていたのだと思う。

 で、いま母ちゃんはどこにいるか。生前の行いからして、とてもじゃないけど天国とか極楽にいるとは思わない。じゃあ、どこにいる?

 そういえば生前、死後の世界を「死んでみなくちゃ、わがんねな」と言っていたっけ。これから夢に出てきて教えてくれないかしら。

(了。第1回から読む

【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。

※女性セブン2022年9月15日号

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