最初に挑んだのはNECだった
当時のドコモ社長は豪語した。2002年ごろからドコモは海外の携帯電話サービス会社に対してiモードの技術と権利を供与し始めた。しかし、マイナー出資が中心だったため、海外での事業展開をコントロールできず、iモードが世界に広がることはなかった。2007年にアップルのiPhoneが登場すると、世界の利用者はファッショナブルでアプリをダウンロードしやすいiPhoneに一気に流れ、iモードに対応した日本の携帯電話は「ガラケー(ガラパゴス携帯)」と呼ばれるようになった。NTTはiモードの国際共通化や事業の多角化のために投じた2兆円はほぼ無駄になり、最終的には1兆5000億円の特別損失を計上した。
ソフトバンクは2012年、米3位の携帯電話会社スプリント・ネクステルを201億ドルで買収して米携帯市場に殴り込みをかけたとき、孫正義社長は米ウォールストリート・ジャーナルに「日本のドン・キホーテ」と書かれた。
孫社長はスプリントと米4位のT-モバイルと経営統合して第三極を作ろうとしたが、許認可を巡る米当局との交渉が難航し、結局2018年にスプリント株を265億ドルでT-モバイルに売却した。64億円の差益が出ているため単純な失敗とは言えないが、「世界の通信市場に打って出る」というソフトバンクの野望は潰えた。
ドコモやソフトバンクより前に通信機器で世界に打って出たのがNECだ。地上に回線を敷かなくても電波で通信網を構築できる同社のマイクロ波通信システムは1970年代から2000年にかけ、中東、東南アジア、アフリカなどで引っ張り凧になり、100か国以上に導入された。中には先進性のシンボルとしてNECのマイクロ波アンテナを紙幣の図柄にした国もあったほどだ。